▼ げんたさん
> 現在のバージョンはファイルバージョンとして今までの延長線上で番号付けし,リリースバージョンは恣意的に大きくするというのが両方の側面をまとめる1つの方法(Windwos98が内部的には4.1くらいであったように)かと思いますが,二重管理が面倒くさい
1.2を1.3とすることに何故それほどの抵抗感があるのか、2重管理してまで1.2を維持したいのか理解に苦しみますが、この件は管理者の賛同を得られなかったということでお終いにします。
公開を原則とするものと非公開を原則とするものを「にたりよったり」と考えることには同意できません。
それにメールでの配布を不特定多数の人にとは思ってません。GPLに移行するまでの期間この措置をとったとして、せいぜい数人でしょう。開発に参加する条件で配布するならもっと少ないかも。配布目的がそれなのだから無理な条件ではありません。
> > MSも個人的やり取りにまで制限はしていない
> ライセンス規定にはそんなことどこにも書かれていないように思います.少なくともソフト本体は個人的友人のためでもコピー不可ですから.
フリーでないソフト本体をコピーしたら明らかに著作権者の儲けを奪うわけで不利益を与えることになります。しかし一般的に著作権に対しては個人的利用の範囲で許される程度というものが存在するのです。この辺も見てください。
http://www.cric.or.jp/qa/multimedia/multi.html基本的に著作権とはそれを侵害されたときに不当な不利益を被ることを保護する目的で制定されているものであることを忘れないで下さい。なぜ個人的利用の範囲ではある程度の複製が許されているのか、それは侵害したとみなしうる範囲にないと考えられるからです。個人でビデオに撮ったり、テープをダビングし、それを限られた範囲の友人間で貸し借りすることはごく普通に行われている行為です。しかしそれを商売にしたり、無料配布することは違法です。コピーという行為すべてが違法なわけではないのです。
> 所詮モラルの問題だとすれば,
> > していいと思ってないのに公開を続けている
> のもモラルが低いからです.nakataniさんから削除要求が来ても公開を停止しなかったから今があるわけで,モラルの低さに救われたと
これはコンタクトの取れている個人間(当事者)の問題であって、コンタクトのとれない(とっていない)今回の場合と同列には述べられません。
GPLにするからには著作権者に対してその取り扱いの責任が生ずるのです。問題を認識してなかった時はいざ知らず、問題であると認識した(人がいる)以上モラルを改めるしかないのです。
さもなくば、WinCVSのように「問題なし」との認識でやってほしいのです。法的にも(詳しいことはわかりませんが)一般的に「知っててやる」のと、「知らないで(認識がなくて)やる」のとでは前者の方が厳しいのではないですか?(上記Webの翻訳ソフトの幇助のところをみると実際そうらしい。) GPLにした場合は著作権者の許可がある(と錯覚している場合も含めて:ここ重要)という大前提がなければいけないのです。
これからGPLにしようかという準備においてはそういうコンセンサスと尊重しようという姿勢が必要でしょ?
# 私としては最初から少なくとも法的「問題はなし」との認識でいたのとMSに対してモラルどうこうをいうこと自体あ●らしいと思っていたのでWinCVSと同じ態度でいってほしかったんですがね。
# MSに不当な苦痛を与えるとか不利益を与えるとかいう意図は毛頭なく、実際上もまーったくないんだから。